2019年04月09日

ギュスターヴ・モロー展−画家の「こじらせ女性愛」

汐留でギュスターヴ・モロー展が開催されています。

産業革命だの印象派だの、外では新しいことが起きていた19世紀のフランスで、ひとり家に籠って、神話や古典を題材に独自の絵画を制作していたギュスターヴ・モロー。

象徴主義を代表する大画家でありますが、今回の展示をみると、「ちょっとギュスターヴさん…そんなに思い詰めないで…」と声をかけてあげたくなる、ギュスターヴさんの性格というか性癖というか、なにか闇が見えてくるのでした。

gustavemoreaux1.jpg
写真は報道内覧会で許可を得て撮影

展示全体を通したテーマは「女性」です。

まず最初はギュスターヴさんの女遍歴の紹介。
といっても、この方、まず母親が一番、そしてアレクサンドリーヌという一人の女性が生涯のパートナーで、派手なことは一切なし。

そして、絵画制作でさまざまな女を描いたのでした。その姿は、

サロメやセイレーンなど、男を惑わしてきた女性たち。
エウロペやレダなど、男神に誘惑され(でもまんざらでもない)女性たち。

「ファム・ファタル(宿命の女)」と言われる、男を破滅に導く伝説上の女性をたくさん描いています。
有名なサロメの絵などは、展示や公式サイトをご覧ください。
その女性がどれも妖艶な美しさで輝くようです。
男性の姿は、巫女たちによって八つ裂きにされ、もはやひとつの肉片と化している血まみれのオルフェウスが印象的でした。

ギュスターヴさんの、女性に対する言葉も展示されています。曰く、

ーー女というのは、その本質において、未知と神秘に夢中で、背徳的悪魔的な誘惑の姿をまとってあらわれる悪に心を奪われる無意識的な存在なのである−−

ちょっとギュスターヴさん!今こんなことSNSで書いたら大炎上ですよ!
なにしろ、19世紀の白人社会でのことで現代とは意識がちがうのは仕方ないことかと思います。
それにしてもギュスターヴさんの女への思いは濃密。女性に恐怖し、同時に憧れて。
作品は神々しいまでに美しい女性像なのに、なにか冷たいものが背筋を走る、そんな作品が並びます。

そして展示の最終章は、
純潔を象徴するユニコーンと戯れる処女たち。

結局、処女がいいんか〜〜い!!

とツッコミを入れたくなるのですが、ギュスターヴさんのねじくれた女性の好みが垣間見える展示でした。
引きこもり気質で、あまり人と交わらず、絵画制作に打ち込んだギュスターヴ・モロー。
ちょっと「こじらせ系」の人であるようですが、そこから生まれた深遠な絵画世界は後世に大きな影響を与えています。

gustavemoreaux2.jpg
一角獣を描いた晩年の作品

ちょうど先日、「中高年の引きこもりが61万人」というニュースがありましたが、ギュスターヴ・モローは現代の引きこもりの方々に、希望を与える人でもあるでしょうか。


「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」
2019年4月6日〜6月23日
パナソニック汐留美術館 にて
10:00〜18:00 ※入館は閉館の30分前まで 毎週水曜休
https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/
posted by 宮澤やすみ at 14:47 | Comment(0) | ヨーロッパ(近代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

ズレが楽しい?「荒木悠展 LE SOUVENIRS DU JAPON ニッポンノミヤゲ」

120年前のフランス人と、平成末期の日本人の、日本文化に対する目線はそんなに違わないのではないか、
と思った展示でした。

今回展示された映像作品は、明治期に日本を訪れた作家・ピエール・ロティの紀行文『秋の日本』をもとに、現代の映像と一緒に見ることで、時間の交錯を体感し、外国人と日本人の視点のズレを楽しむ内容になっています。

arakiyu2.jpg
《The Last Ball》

作品を作ったのは、映像作家の荒木悠さん。
アメリカと日本を行き来したバイリンガルである荒木氏だから、こうした東洋と西洋の視点の交錯が作品として結実しました。
どれも軽いユーモアを交えて楽しい作品を提示してくれたのが好印象でした。

プレストークでも、作家本人が「これほとんどボケなんですけど」と言ってましたし。その場は誰もツッコまなかったけど(笑)、いろいろツッコミを入れながら鑑賞するのがいいと思います。

京都、日光、江戸(東京)の名所をめぐる映像と紀行文をまじえた「戯訳」シリーズでは、ピエール氏が日光東照宮を千年前の古社のように解釈するなど、少々の勘違いが「ズレ」として心に引っかかるのですが、よく考えてみれば、きっと現代の日本人だって似たようなものだろうと思います。

arakiyu1.jpg
左から《戯訳「聖なる都・京都」「日光霊山」「江戸」》
背景色のマゼンタは、日本人と西洋人の色覚のちがいに着目して設定したもの


筆者は、仕事で寺社のガイドをしたり、三味線演奏を通じて江戸〜昭和の文化を紹介したりしていますが、
その経験からいうと、現代の日本人が古い日本を見る目は、もはや外国人と同じレベルであり、古い日本にエキゾチシズムを感じていることに気づきます。

今現在、着物を着るとか三味線の生音を聴くというのは特別な行事であって、日常ではない。"YEDO(エド)"という異世界を覗いてみようという意識は、若い日本人と西洋人と変わりがないように思います。
旅先でも、「今あなたが参拝してるのは神社?お寺?」と聞かれて、正確に答えられる人はどれくらいいるでしょう。
(なお、ピエール氏は、明治期の神仏分離・廃仏毀釈の様相を見逃さずに記述していてさすがと思いました)

平成末期の一般的な日本人からすると、奈良時代も江戸時代も等しく遠く知らない世界であり、異国そのものなんだと思います。
自分のくらしとつながっているということが実感しづらい、時代の断絶があります。
だから、解説する側からすると、外国人に説明するのと(古い日本に詳しくない一般的な)日本人に説明するのに、内容はほとんど変わりません。

つまり、日本人と西洋人の目線の交錯が、ズレてるようで交わるようでという、一筋縄でいかないもやもや感が楽しい作品なのでありました。
そもそも他者との完全な理解などありえないわけですから、これが世界の縮図ともいえますね。


筆者の場合、「現代美術での映像作品」というと、小難しくて苦手な印象があって、大規模な美術展ではつい素通りしがちでした(スミマセン)。

App_headshot_1581916334-Yu Araki_portrait_s.jpg


しかし、ものは考えようで、ひとつの短編映画だと思えばぐっと距離が縮まるもの。
今回は、脚本がピエール・ロティ。監督が荒木悠。制作が資生堂というかたちの映画みたいなものでしょう。
たくさんの人が団結してひとつの作品が仕上がる、その様子も垣間見られます。

会場に流れる弦楽四重奏。ちょっとインチキくさい(笑)鹿鳴館の雰囲気が、銀座の地下で楽しめます。しかも無料。
銀座の散歩のついでにちょっと立ち寄れる展示だと思います。
(右写真:荒木悠氏)


「荒木悠展:LE SOUVENIRS DU JAPON ニッポンノミヤゲ」
2019 年4 月3 日(水)〜6 月23 日(日)
資生堂ギャラリー にて
平日 11:00〜19:00 日・祝 11:00〜18:00 毎週月曜休
(月曜日が祝日にあたる場合も休館)
入場無料
http://www.shiseidogroup.jp/gallery/

posted by 宮澤やすみ at 16:18 | Comment(0) | 現代美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

「チューリップ時代」の深い意味−トルコ至宝展−

「チューリップ時代って何よ」
と一人でツッコミを入れたのは、世界史の受験勉強のとき。
参考書の近代の章は戦争の記事だらけの中で、イスラム世界の短い解説に突如現れた「チューリップ時代」という、妙にハッピーなワードがものすごく引っかかったのでした。
以来、オスマントルコといえば「チューリップ時代ってのがあるんだよ」という認識だけで日々人生をすごし、数十年。やっとその真相に触れる日が来たのでした。

turkey1.jpg
全体にチューリップ柄があしらわれたカフタンという装束。スレイマン1世(在位1520-66)がお召しになったもの
写真は報道内覧会で許可を得て撮影


今回の「トルコ至宝展」では、歴代のスルタン(オスマン帝国の皇帝)が残したお宝を展示。
きらびやかな宝飾、衣装、調度品。トプカプ宮殿の美は、ヨーロッパとアジア(中国、日本も)の両方からよいものを集めて独自の美意識でオスマントルコの世界観が展開されます。

turkey3.jpg
《宝飾兜》16世紀後半。軍隊の習慣として、兜の前立てをスプーンとして使った例もあったそうですが、この《宝飾兜》はさすがにそういう使い方はしません。あくまで防御板であります

世界史で「チューリップ時代」というのは、18世紀の国内安定期にヨーロッパと良好な関係を保った時のことを言い、そのときにチューリップが流行したことからこの名称がついてます。

ただ、オスマントルコにとってチューリップは昔から非常に重要な花だったようです。
トルコの言葉でチューリップは"Lâle"(ラーレ)といいます。これをアラビア語で書いて、そのつづりを並べ替えると、なんと「アッラー」となるんだそうです。
ほかにもアラビア語の数秘術からもアッラーに通じ、さらには「チューリップは一つの球根から一つの花が生じるため、イスラーム信仰における神の唯一性(タウヒード)を示唆すると解されました」(展示パネル解説文より)とのことから、チューリップは宗教的な面でも非常に大事な花なのでした。

仏教だったら蓮、キリスト教だったらユリ、といった位置づけでしょうか。

これで、私のなかで「チューリップ時代ってなんだよ」の疑問が解け、スッキリしました。
戦乱ばかりだった近代の、つかの間の平和が「チューリップ時代」。人の一生もトラブル多いものですが、自分なりの「チューリップ時代」を求めていきたいと思うのでした。

展示は最後まできらびやかな美に浸り、贅沢な時間を過ごせます。

turkey4.jpg
アラビア書道のコーナーは、宮殿の部屋に入ったかのようなしつらえ

turkey2.jpg
展示室のしつらえもトプカプ宮殿を意識したのでしょうか。すごく凝った造りになっていて、テーマパークを訪れたようで楽しいです。


【トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美】
2019年3月20日(水)〜5月20日(月)
国立新美術館 企画展示室2E

(巡回)
京都国立近代美術館
2019年6月14日(金)〜7月28日(日)

公式サイト
https://turkey2019.exhn.jp/

posted by 宮澤やすみ at 15:06 | Comment(0) | ヨーロッパ(近代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

古代ローマの彫刻も楽しめる絵画展 ルーベンス展

ミーハーですけど、ルーベンスと言えばアニメ「フランダースの犬」の最終回で主人公ネロが見たかった、アントワープ生母大聖堂の絵が有名です。アントワープ(アントウェルペン)はベルギーの都市。いわゆるフランドル地方にあたります。

私、ルーベンスには素朴なギモンがありました。
ルーベンスはフランドルの出身なのに、いわゆるフランドル絵画、ファン・アイクとかブリューゲルとか、ああいう路線とぜんぜんちがうんです。時代がちがうとはいえ、なんでかな、と。
ふわっとした素朴なギモンです。

rubens3.jpg
写真は報道内覧会にて撮影

それが、今回の展覧会でよくわかりました。

ルーベンスは、ほとんどイタリアの画家といってもよいのでした。
若いうちにイタリアに滞在し、古代ローマの芸術を熱心に勉強し、自分のものとしました。
古代の次に影響を受けたのが、ティツィアーノの絵画。いわゆるヴェネツィア・ルネサンスです。
2017年に近くの東京都美術館でやっていた「ティツィアーノとヴェネツィア派展」の続編として、ルーベンス展を見るとすんなり呑み込めます。「ヴェネツィア派展」行かなかった人はこちらご参考まで。
https://www.tobikan.jp/exhibition/h28_titian.html

ルーベンスの仕事をひとくちに言うと、図録のアンナ・ロ・ビアンコ氏の言葉を引用すれば
「ルーベンスは古代を激しい調子で再解釈した上で、心を捉える壮大さによって宗教的表現へと変容させた」
とあります。
古典を深く勉強した結果のオマージュがルーベンスの絵に色濃く見られます。

rubens2.jpg
劇的な画面構成がルーベンスの真骨頂

神話をテーマにした作品は、ネタ元になった絵も分かっていますが、ルーベンス的に独自アレンジをして、よりドラマティックに仕上がってます。
今回メインのヴィジュアルで出ている、磔になった聖人の絵(上の写真にあります)が好例ですね。
元ネタの絵よりも、登場人物の表情やポーズが生き生きしていて、絵の中に物語を感じさせます。
「このあとどうなる?」と思わせる、動的な絵とでもいいますか、ストーリーを想像させる力があります。

rubens1.jpg
今回のハイライトとなる作品が奥の作品。そしてお手本にしたであろう裸婦彫刻


展示最後の大きな裸婦像も見とれちゃいます。
《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》というタイトルで、神話を題材にしています(真ん中の赤ん坊は蛇のしっぽが生えている)が、見どころはなんといっても3人の裸婦。
正面、横向き、背後からという三態のポージングをまとめているのですが、これはルーベンスが古代ローマの彫刻を観察した結果だそうです。
彫刻をあらゆる角度から絵画に落とし込むことでできた複雑なポージングです。
彫刻も楽しめる絵画展。筆者は日ごろ仏像ファンと接する仕事をしていますが、仏像ファンにもすすめたい展覧会です。

そんなわけで、今回の展示は、17世紀初頭、ルネサンス以後のヨーロッパ絵画と同時に、古代ローマの美術も楽しめるのでした。
展覧会にタイトルにある「バロックの誕生」については、バロックとは何なのかが最後まで出てきませんでした。まあしかし、ルーベンスの絵画は”なんとか派”みたいな言葉がなくても、それだけで圧倒的な存在感があるのです。


【ルーベンス展−バロックの誕生】
2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)
国立西洋美術館
公式サイト
https://www.tbs.co.jp/rubens2018/


posted by 宮澤やすみ at 16:05 | Comment(0) | ヨーロッパ(中世、ルネサンス) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

東西アート革命「マルセル・デュシャンと日本美術展」

「マルセル・デュシャンと日本美術展」に行って来ました。

duchamp0.jpg
一番有名(?)な作《自転車の車輪》
1964複製/オリジナル1913


トイレの便器に、サインを書いて
「これでもアートなんだぜ、どうよ!」
と、したり顔で展示して、美術のコンセプトをひっくり返した人が、マルセル・デュシャンさんです。

duchamp5.jpg
作品づくりにまつわるメモや複製をパッケージにまとめる仕事もした

デュシャンは20世紀初頭に、まず画家としてスタート。
キュビズムに影響された絵画作品を多く描きますが、すぐ画業をあきらめてしまいます。

「もう画家や〜めた」っていった先から、デュシャンの仕事が始まるわけですが、
対象を分解して再構成するキュビズム絵画と同じように、アート全体もぶっ壊した張本人なんですね。
ほかにも、急に女装して「ローズ・セラヴィ」という架空キャラを演じたり。これって、友近が水谷千重子やるのと同じ?ですよね。

duchamp2.jpg
レディメイド作品の代表。しかもサインは"M. Mutt”という偽名!
《泉》1950複製/オリジナル1917


「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」
という作品も登場。このタイトルを読んでから作品を見ると、性的なモチーフが見えてきます。
便器の作品は「泉」。
こんな感じで、言葉と作品の密接な融合も、デュシャンの作品によくみられます。

duchamp1.jpg
《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
1980複製(オリジナル1913-1923)


そんなふうなコンセプトをもとに、「日本美術」を見てみよう、というのがこの展覧会のミソ。

いきなり出てきたのは、楽茶碗。

今でこそ高級な美術品というイメージですが、制作当初はかなりパンクなアイディアから生まれました。
金ぴか豪華主義の桃山時代に、真っ黒な手捻りのヘンな茶碗を持ち出した衝撃たるや相当なものだったはず。
このサイトでも、以前わたくしこんなふうに紹介しました↓
「利休と楽は美術界のとんだパンク野郎」
「桃山美術界に殴りこんだ”反逆のアート”」
「楽茶碗はアバンギャルドの極致?『茶碗の中の宇宙』展」アートウォッチャーより

こういう考え方が、楽茶碗にはあるんですね。
そことデュシャンとを、だいぶ強引ですが結び付けてみたよ、という展示です。

そのへんにあった竹を切っただけの花入れが「美」とされるのも、デュシャンの《泉》と通じる?というわけ。

duchamp3.jpg
展示後半は日本美術《竹一重切花入 銘 園城寺》伝 千利休

奇しくも、先日はサザビーのオークションで1億5000万円で落札されたアート作品が、その瞬間に断裁されるという「事件」がありました。
投資の対象になっているアートに疑問をなげかけるパフォーマンスでしたが、これのおかげでかえって価値が高まっちゃうという、ヘンな矛盾が起きてます。
デュシャンも、美術を壊した仕事のおかげでかえって現代美術のスターとして扱われています。

duchamp4.jpg
書=ことばと作品の融合を、デュシャンの言葉遊びとつなげてみる
ーー《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦


ちょっとこじつけ感もありますが(笑)、それでも最近は東洋と西洋の美術の共通点を探る行為もよくありますし、わたし自身も運慶を「仏像界のルネサンス」と言ったりしてますので、今どきの美術評論の潮流なのかなと思います。

そんなふうに、時間も空間も超越して横断的に美術を楽しもうよ、という思いが伝わってくる展示です。



東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展
【マルセル・デュシャンと日本美術】
2018年10月2日(火)〜12月9日(日)
東京国立博物館・平成館特別展示室第1室・第2室
公式サイト
http://www.duchamp2018.jp

posted by 宮澤やすみ at 23:32 | Comment(0) | 現代美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする