2017年10月10日

気分は仏像同窓会!?「運慶展」

東京国立博物館の特別展「運慶」を取材してきました。
なにしろ運慶と慶派の有名な仏像が、あれもこれもギュッと一堂に。
なかなかの仏像パーティぶりでした。
仏像ファンなら必須の展示かと思います。

unkei1.jpg
無著さんと世親さんに歓迎されて、仏像パーティに招かれた気分

クライマックスは奈良・興福寺の諸像。

現在、興福寺の南円堂にある四天王は、もとは北円堂にあったとされるそうで、
展示では、北円堂の有名な像である無著と世親の両像といっしょに配置され、往時の北円堂の内陣を再現しています。

この、無著さんと世親さんのお二人、やはり素晴らしいですね。
四天王や菩薩のような派手さは一切無いものの、その圧倒的な存在感に改めて感動しました。
写真やネットでよく見る像ですが、やはり実物の感覚はぜんぜんちがいますね。

展示はまず「運慶のデビュー作」といわれる円成寺・大日如来から始まります。
20代の運慶が「やったるでぇ〜!」とがんばって造り上げた仏像。その気持ちに共感し、私はこの像をイメージした仏像ソング"Great Sunshine Boy"という歌を歌っています。
展示はそこから伊豆と横須賀の名作、願成就院と浄楽寺の仏像が並びます。私はこの両寺には何度となく訪問。母校である横須賀高校在学のとき、浄楽寺近くに友人が住んでいたこともあり、とてもなじみのあるお寺です。
そんななじみ深いお寺の仏像がこんな晴れ舞台に登場するなんて、なにかこう、地元の仲間がスターになったような誇らしげな気持ちになります。

unkei4.jpg
運慶作と目される興福寺の仏頭も独特の存在感

運慶ファミリーの作も展示。

運慶の父・康慶作、奈良の長岳寺の阿弥陀三尊は、玉眼を使った最初期の例として有名。お寺では暗い中で少し離れた位置からの拝観ですが、ここでは間近に拝めます。

運慶の子・康弁作、怪獣っぽい風貌だけどカワイイ天燈鬼、龍燈鬼は、展示の最後でお出迎えしてくれます。

unkei2.jpg
高野山から八大童子も東京出張(運慶作の6体のみ)


写真や旅先で何度も会ってきた仏像ばかりですが、こうして一堂に集まって再会を楽しむのもいいですね。
まさに気分は仏像同窓会。
「やあひさしぶり!」「最近どうしてた〜?」なんて会話が聞こえてくるよう(ハイ完全に妄想でございます)。

展示替えもあるので、また行ってみたい、今年最大の仏像展だと思います。

ちなみに、グッズ売り場では、「十二神将ジオラマ」が異彩を放っていました。
12sinshogoods.jpg

特別展「運慶」
2017年9月26日(火)〜11月26日(日)
月曜休館(10/9は開館)
東京国立博物館「平成館」にて
公式サイト
http://unkei2017.jp
 
posted by 宮澤やすみ at 02:03 | Comment(0) | 日本(仏像、考古) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

「天ぷらスタイル」の理由 -ジャコメッティ展-

国立新美術館の「ジャコメッティ」展を取材してきました。
観た後、天ぷらが食べたくなる展示でした。とくにエビ天。

giaco0s.jpg
撮影OKエリアもあって盛り上がってます

なぜこんな形に?

ジャコメッティといえば、ヒョロヒョロの人体彫刻が有名ですよね。

これを見て、ああ現代美術、わけわからん抽象作品、と早合点しそうですが、そうではないのです。
(私も初めて見たときは”なんじゃこりゃ”と衝撃を受け、そこからハマりましたがね)

giaco1ss.jpg
突然こんなのが立ってたら”なんじゃこりゃ”となります

展覧会では、評論家の山田五郎さんのイヤホンガイドがすごく聴きごたえがあったので、許可を得てその言葉を引用します。

さて、ジャコメッティは、若いころはシュルレアリスムの仲間にいましたがすぐ離脱。抽象から、モデルを立たせての具象表現へ舵を切ります。

そこでのコンセプトは、自分の眼で見たまんまを、彫刻として再現するというもの。

作品をよ〜く見ると、顔立ちや胸の形、ヒップなど、わりと生々しいイメージが伝わってきます。ジャコメッティが交際していた彼女をモデルに作った作品なんか、けっこうセクシーです。

giaco3.jpg
表情や人となりが伝わってきます

でも、やっぱり写実表現とはちがいますよね。なんだか天ぷらの衣みたいな表面とかね(笑)、現実とかけ離れた異質な感じがします。
これ、べつにジャコメッティの視覚がおかしいとかそういう話ではない(マンガ『火の鳥・未来編』ではそんなシーンがありました)。

いったいどういうことでしょうか?

ジャコメッティを大変評価したのが、実存主義の大家・サルトルでした。彼の作品が「実存主義的だ」とおっしゃるのです。

山田五郎さんの解説によると、実存主義の考え方とは「世界は、自分が見えるようにしか存在しない」ものとまとめてくれています。今見えている世界(対象)は、あくまで自分というフィルターを通してのものにすぎないということでしょうか。

ジャコメッティは、見えたものをそのまま彫刻にするという行為で、自分だけの世界をこの世に現出させたと言えましょうか。だいぶややこしい話です。

だから、一般的な写実表現とは異なるのですね。

ジャコメッティは、モデルと何か月も向き合い、造っては削りを繰り返し、やっとのことで作品を創り出していったそうで、その制作過程は過酷だったそう。
きっと、造るというより「絞り出す」ような感じだったんでしょうか。

その中で、自分の見えている形を追求して格闘した「痕跡」が、あの天ぷらの衣状態なんじゃないでしょうか。

なにしろ、ヒョロヒョロスタイルや天ぷらスタイル(勝手に命名)を、意図的に編み出したわけではなく、やっているうちに「なんだかこうなっちゃった」というのが実情のようです(後に紹介する山田五郎さんのVTRにもあります)。

giaco-neko.jpg
ジャコメッティにかかるとネコもこうなる(笑)


「ジャコメッティ」展で見える”仏像って何?”

さて、筆者の専門は仏像なのですが、仏像ファン目線で見ると、同じ彫像でも考え方が正反対のようで、しかし同じ到達点に向かっているような、そんな思考ループに陥ります。


山田五郎氏によると「実存主義の反対は本質主義といって、自分がいなくても世界は存在するというもの」だそうですが、信仰の世界はわりとこちらに近いでしょうか。

目には見えない、観念的な存在である仏を、彫像としてこの世に現出させるのが仏像造りの目的。

いわば、そこに「ない」けど、心のなかにあるものを、現実に「ある」ものとして目の前に置いてくれる。

一方、ジャコメッティの場合は、現実に「ある」ものをひたすら見て、対象と作家を隔てる存在や、作家の心の奥に沸き立つものを形にする。

両者は、アプローチは正反対ですが、どちらも存在の本質に触れようとする試みは共通してる気がしました。

giaco2.jpg
展示後半の「ヴェネツィアの女」は圧巻

ただ、アプローチが正反対だからといって、単純にヨーロッパと東洋という紋切り型の解釈はできないでしょう。ジャコメッティの生きた20世紀という時代の空気もあるかと思います。

ちなみに、ジャコメッティのようにどんどん削っていくことで量感を表現する「引き算の美学」は日本人の美意識にマッチするのでは、と山田五郎さんおっしゃってます。

一般に、ヨーロッパでの美の基本は人体、東洋での美は自然とされるようで、そこに美術や宗教の本質が見えてきます。こうした東西美術の比較については、これからも取材していきたいと思います。

最後に、山田五郎さんのわかりやすい解説動画があるので貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=UCsgZW84l88


ちなみに、山田五郎さんには、私のバンド「宮澤やすみ and The Buttz」のCDジャケ帯推薦文を書いていただいてます(突然宣伝すみません)。


『Ash-la la la』宮澤やすみ and The Buttz



本展は、東京展の後、豊田市美術館に巡回します。

ジャコメッティ展
(東京展)
2017年6月14日(土)〜9月4日(日)
国立新美術館企画展示室 1Eにて
月曜休館
(愛知展は10月14日から豊田市美術館)

展覧会公式サイト
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

posted by 宮澤やすみ at 12:34 | Comment(0) | 現代美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

たのしい地獄へ!「地獄絵ワンダーランド」展

暑い夏にスパイシーなカレーが食べたくなるように、夏は熱い地獄の絵を楽しむのがいいですね。
東京日本橋・三井記念美術館の「地獄絵ワンダーランド」展を取材してきました。

jigoku1.jpg
地獄あれこれ、各種取り揃えてます!

やっぱりイチ押しは、後期展示のヘタウマ地獄絵ですね。

大きな掛け軸に地獄の王と獄卒、亡者、そのどれもがイイ感じに力が抜けて、マンガのような顔。
とくに亡者はヘナっとした顔が良い(笑)
なんだか、さくらももこのマンガエッセイに出てきそうな、ちびまる子ちゃんと一緒に夢の中で遊んでいそうな感じの、のほほんとしたお顔です。

その画像は、美術展サイトの「展示室7」をご覧ください。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

jigoku2.jpg
閻魔王と随神の像。このほか閻魔大王の前身である、密教の閻魔天の図像が興味深かったです

江戸時代は、神仏が庶民に浸透し、その結果かなり身近なものになり、だから冗談まじりの作品も登場します。

筆者は三味線を弾いて歌う「小唄」の師範ですが、小唄にも「お釈迦さん」という釈迦降誕会(灌仏会、花祭り)を歌った作品があります。
その歌詞は、
”賽銭箱にけっつまづいて甘茶の中へと落っこったぁ〜”
と、赤ん坊姿のお釈迦さんを(良い意味で)小バカにした歌です。

ほかにも、風神雷神が吉原へ繰り出して大騒ぎという唄もあったり。
神仏を歌う小唄はだいたいナンセンスなものばかり。

つまり、江戸時代には神仏はそれだけ身近で、信心深さを建前にしながら、実際は友達扱いしてしまうような付き合いだったようです。

だから、地獄絵の方向性も、怖がらせるよりも楽しんじゃう感じがウケたんじゃないでしょうか。


仏像ファン目線では、仏の世界の階層が理解できて面白いです。
よく言われる「六道」(人間が輪廻を繰り返す6層の世界)があり、その上に仏の世界が「須弥山」という大きな山で表現される。
四天王などの天部はその山の中腹にいて、人間世界を監視したりしている。山の頂上忉利天は、帝釈天の居城「喜見城」がある。その上空はホトケの世界で、弥勒菩薩のいる兜率天などいろんな階層が存在。

jigoku3.jpg
須弥山を描いた大パネルがわかりやすい。喜見城の部分を接写


今回のテーマである地獄は、山の下にある人間世界から、さらに地下深くへ潜ります。
地下と言っても、デパートみたいに地下2階食品売場でお惣菜買って帰るのとはわけがちがいます。

地獄にも八層あるそうですが、地下8階「無間地獄」へは、ひたすら下へ降りていくこと実に2000年間!
2000年かけてやっとフロアに到着して、そこから地獄の責め苦が永遠に続くのです。気の短い人は到着するまでに気が狂ってしまいそう。


jigoku4.jpg
木喰作の像も楽しいです。前列左の葬頭河婆(奪衣婆)は三途の川で衣をはぎ取る「地獄の受付嬢(婆)」


一人でも楽しめるし、仲間とワイワイ言いながら観て歩きたい展示です。



特別展「地獄絵ワンダーランド」
(東京展)
2017年7月15日(土)〜9月3日(日)
月曜休館
三井記念美術館にて
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
(京都展は9月23日から龍谷ミュージアム)



posted by 宮澤やすみ at 17:46 | Comment(0) | 日本(中世-近代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。