2015年04月30日

「大英博物館展」人類200万年の業

東京都美術館の『大英博物館展』報道内覧会へいってきました。

「100のモノが語る世界の歴史」と謳われているように、館所蔵からの厳選100点をもとに、じつに200万年の人類の営みを俯瞰するという、かなりスケールの大きな展示です。
歴史の中で異文化が入り混じり影響しあう様子がみて取れます。
そして、文明の発祥以来、やってることは戦争と宗教という、人間の「業」を感じる展示でありました。

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(写真は特別に許可を得て撮影)

最古級の遺物である石器(200万年前)から始まって、人類が造ってきたモノを、時間を追って展示。
ただの道具が、意匠をほどこして「アート」になるのが数万年前。下の写真は”投槍器”という、槍を遠くに飛ばすための道具ですが、わざわざ彫刻を施しています。
それにしても、トナカイにマンモスっていう題材が、当時を物語ってるじゃないですか。この時代の人たちには身近で大事な動物だったんでしょうね。マンガ『はじめ人間ギャートルズ』を思い出します。

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《トナカイの角に彫られたマンモス》
14000〜13500年前 フランス出土 大英博物館蔵

古代遺物の展示が続きます。なかには日本の縄文土器も。ちなみに、土器づくりは日本の鹿児島あたりが最初期だと聞きました。
ギリシャ文明は、教科書では写実的な彫刻を習いましたけど、最初期の彫刻はこんな感じ。これ、日本の土偶とほとんど同じじゃないですか。乳房と女性器が強調されていて、女神さまでしょうか。
洋の東西関係なく、しょせん人間のやるこたあ変わりませんなあ。

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《カルパトス島の女性像》
紀元前4500〜3200年 ギリシャ出土 大英博物館蔵


農耕が始まると同時に文明が発達します。そして戦争も絶えなくなるのですが。
エジプト、アッシリアなどはもちろん、中国、、南米、アイルランドなどの古代遺物も。古代文明好きにはたまらないです。
子供のころ習った「四大文明」ってのはなんだったんでしょうね。もはや「四大」に収まるはずもなく、世界中に古代文明があったことは常識です。

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ローマ皇帝とインドの仏塔が同列に並ぶ構成がおもしろい

そして興隆するのが「宗教」です。
展示では、キリスト教、仏教、イスラム教、ゾロアスター教、ミトラス教などの作品があって、それぞれが影響しあっている様子がわかります。

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牛を殺すミトラス教の神像。血と肉に見立てたワインとパンがキリスト教の儀式に引き継がれていく
奥に仏像とキリスト教の棺が展示



思えば、農耕と宗教によって、人間同士争うようになってしまったんですね。
こうして広い視野で人間の行動を見ると、なんだか個々の宗教とか文化のちがいとかが、すごく些細なことのように思えてきます。もちろん、些細なようで、現場の個人個人にとっては大事なものであり、なかなかむずかしい話なのですが。
少なくとも今回の展示では、どの文化もどの文明も等しく人類のかけがえのない宝であるのは確かですが、200万年の時と地球規模のスケールでは、どれもしょせんちっぽけな人間の所業であり、何か一つにこだわるのがバカバカしくなるような思いがして、”人間なんてララーラーララララーラー”と歌いたくなるのでありました。

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《アフガニスタンの戦争柄絨毯》
1980〜1989年 アフガニスタン 大英博物館蔵
伝統の絨毯に現代の戦争のモチーフ(ヘリコプターや戦車)が織り込まれる。



ぼく自身、日頃は仏教美術やキリスト教美術に接している人間ですが、こうして横断的にものを見る体験というのは、とても良い機会になりました。



大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史
2015年4月18日(土) 〜 6月28日(日)
東京都美術館にて
http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_history100.html
特設サイト
http://www.history100.jp/



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posted by 宮澤やすみ at 18:10 | Comment(0) | 総合分野 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

ポーラ美術館「きいて みる」絵の中に入り込む不思議感覚

引き続き、ポーラ美術館の取材レポートです。

常設展の一角でやってる企画がすごくおもしろいです。

美術をもっと楽しむプロジェクト「じっくり/JIKKURI 04 きいて みる」

といい、音といっしょに絵画を鑑賞するものです。

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作品は、クロード・モネ《バラ色のボート》。

折り重なる木々の間を、小さなボートが水面に浮かぶようすを描いた絵。この場に流れていたと思われる、せせらぎや鳥の声などをの音を、スピーカーから流します。
超指向性スピーカーなので、作品に近づくと、突然音が聞こえてくる仕掛けになっていて、なんだか絵の世界に入り込んだような、アリス・イン・ワンダーランド的な感覚を覚えます。

しばらく身を置いていると、ゆっくりオールを漕ぐ”チャプン”ていう音や、風の音も聞こえます。
そうすると、不思議なことに絵の見え方も変わるんですね。これは面白い。
モネの作品によくある、ぼーっとふわーっとした画面なんですけど、音が耳に入ったとたん、すごくリアルな絵に見えてくるんです。
池の水面なんか、バカボンのほっぺたみたいな渦巻が雑なタッチで描かれてますけど(ひどい言い方w)、それがゆらゆらしている水面の動きに感じられ、光のきらめきも見えてくる(気になる)。
すごく透明度の高い水の上をボートが進む様子が、ありありと見て取れます。

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印象派の画家がめざしたのは、外光で事物を捉えて描く絵画だそうですが、音が付くとよくわかります。アウトドアの心地よい空気に包まれて、一緒に水をちゃぷちゃぷして「おおぅ冷たい!」なんてやりたくなります。
聴覚が刺激されると、視覚にも影響が出るんでしょうか。脳科学的な観点から興味深い現象が、自分のなかで起きているんです。これは新鮮な体験でした。
ぼくがグッと印象派に引き込まれた瞬間であります。

じつは、ぼくは印象派がちょっと苦手だったのです。その理由のひとつに、あまりに騒ぎ立てられて、情報過多といいますか、説明がやたら多くてかえって混乱するような気がするんですね。
以前、べつの展覧会で、あまりに説明書きが多くて、鑑賞後にはテキストを読んだ記憶しか残らない、という事態もありました。
言葉で説明を読んでもピンとこなくて、さっぱり印象に残らなかった「印象派」。それが、音でストンと腑に落ちたのでした。

ちなみに、ぼくが音楽をやっている人間だからということもありますが、アート=絵画、彫刻だけじゃないはずです。聴覚に訴えるアートもアートとして認めてほしい。
まあきっと、聴覚アートは作品として売りづらいとか図録に載せられないとか、業界の都合もあったりするのでしょうね・・・


美術をじっくり楽しむプロジェクト 「じっくり/JIKKURI 04 きいて みる」
2015年4月1日(水)-9月27日(日)
ポーラ美術館 展示室3
http://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20150401c01/

 
 
posted by 宮澤やすみ at 17:30 | Comment(0) | ヨーロッパ(近代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

セザンヌ展 「押しの弱い男」がブレイクした理由

箱根のポーラ美術館では「セザンヌ展」が開催されています。美術館主催の内覧会「プレスデー」に参加し、取材してきました。
セザンヌは、印象派と20世紀美術をつなぐ役目となった、美術史上非常に重要な画家です。
それなのに、「ザ・印象派」モネと「帝王」ピカソの間に挟まれ、美術ファンの間ではちょっと影が薄くなりがち。もったいないですね。

絵画自身の存在感

さて、展示をみながら学芸員さんの説明を聞きました。
いろんなお話があったのですが、ぼくの印象に残ったのは「筆触」の話です。

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担当学芸員の工藤さんが解説

学芸員さんによると、当時の画壇は荒々しい筆のタッチ「筆触」を残した画面が特徴だとのこと。
それ以前ですと、スフマートに代表されるように、筆の筆致を残すなんてありえなかった。
この「筆触」により、絵の価値が変わってきたようです。
絵具を塗るというより、盛り付けた筆触の陰影によって、絵画がたんなる2Dの平面作品ではなく、ある意味3Dの立体作品になってくるんですね。

当たり前の話ですが、絵を見るとき、絵に描かれている内容(人物なり風景なり)を見るのが当たり前なわけですが、この時代の絵画は、絵が「絵そのもの」の存在感を感じさせるんですよね。
もちろん、人物とか風景とかが描かれてはいますが、そうした対象を超越して、絵具と絵そのものが主張をしてきます。
こうした運動が、20世紀に入って、絵画の存在意義を根本から考え直すことになっていくんでしょうね。

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ともかく、こうした絵の存在感は、印刷や画像ではぜんぜん伝わりません。いちど実物を肉眼で見るのがいいと思います。

近づいたり、遠くから見たり、斜めから見ると筆触の具合が見えますし、絵画鑑賞が楽しくなります。
展示室に入ると、美術館独特の絵具のにおいなんかもして、テンションがあがります。







箱根の自然に囲まれた快適な空間



ブレイクのきっかけはモネ?

で、セザンヌ展ですけど、彼を取り巻く同時代の仲間や先輩、師匠、そして後輩と、いろんな才能のぶつかり合いがみえて面白いです。
今回の展示で登場する人物を整理しましょう。

先輩:クールベ、モンティセリ、マネ
師匠:ピサロ
同僚:モネ
後輩:ゴーガン、ピカソ、ミロなど

そういう人たちの作品とセザンヌ作品が並ぶのですが、この人物関連からもセザンヌのおもしろさがわかるんじゃないでしょうか。

ぼく自身は以前からセザンヌが好きで、オルセー美術館でも長い間りんごの絵を眺めたものでした。

しかし、冒頭にも書きましたけど、セザンヌは、大人気のモネやピカソほどのインパクトがなく、一般の美術ファンにはセザンヌにあまり興味を示さない人もいるとか。ちょっと残念ですね。この時代のキーパーソンなんですけどね。

あえて事物の端を切り落とした変なアングルは、スマホで斜めに撮っちゃった写真にも見えて、その一瞬の美しさも感じるし、技法がどうこうという話を抜きにしても、もしセザンヌがスマホで写真撮ったらこうなるだろな〜と思うだけですごく親近感が湧きます。

Aポール・セザンヌ《砂糖壺、梨とテーブルクロス》 1893-1894年 ポーラ美術館蔵_s.jpg
ポール・セザンヌ《砂糖壺、梨とテーブルクロス》 1893-1894年 ポーラ美術館蔵

セザンヌはセザンヌで、ずっと画壇から離れて、裕福なお父さんから仕送りもらって描いてたというから、認められたい、稼ぎたい、という欲求が無かったんでしょうか。確かに、ピカソみたいなグイグイくるような押しの強さは無いですよね。

前に前に出ようとギラギラすることもなく、柳に風、暖簾に腕押し、ひょうひょうとした性格だったんでしょうか(勝手な想像ですが)。
そんな、作品の背景に存在する、ある種の押しの弱さゆえ、一般美術ファンに響かないのかもしれないですね。

こういう人っています。まあ私もそっちの部類に入る人間だと思うんですが・・・。
こういうタイプの人を代表して申しますと、
「ギラギラしない」人だって、認めてもらいたい願望はあるんです。でもそれを出すのがヘタ。こういう人を理解するには、相手のほうから一歩踏み込んでもらわないとダメ。
はい、めんどくさい人なんですこういうタイプの人って・・・。

セザンヌの場合、「一歩踏み込んでくれた人」がいた。それがクロード・モネ。
彼が、田舎にひっこんでいたセザンヌをもういちど引っ張り出して、個展を開かせたところ、一気にブレイクしたのでした。

モネの「踏み込み」がなかったら、確実に忘れ去られていて、20世紀美術の動きも変わっていたかも。モネさん、美術史上大事な仕事をしましたね。
いっぽうで、セザンヌの画力があってこそのブレイクだったわけですから、陽の目をみないアーティストも、日頃から研鑽しておかないといけませんね。

 
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レストランでは「りんごの画家」セザンヌをイメージした特別メニューがいただけます
メニュー詳細(美術館サイト)



セザンヌ―近代絵画の父になるまで 
2015年4月4日(土)−9月27日(日)
ポーラ美術館にて
美術館サイト:
http://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20150404s01/
展覧会特設サイト:
http://www.polamuseum.or.jp/sp/cezanne_2015/
 
 
 
posted by 宮澤やすみ at 12:39 | Comment(0) | ヨーロッパ(近代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする