2011年02月17日

シュルレアリスムが「いい人疲れ」を癒す?『シュルレアリスム展』取材記

国立新美術館で開かれている「シュルレアリスム展」の報道内覧会に行ってきました。
日ごろ仏像神社仏閣に関わっていますが、こういう世界もけっこういけるクチなんです。何年も前、パリのポンピドゥーセンター(国立近代美術館)を訪れて、外壁を這うジグザグエスカレーターを上りながらワクワクしたものでした。

※写真は掲載可能期限が過ぎたため、削除しております。ご了承ください。


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シュルレアリスムの全貌が一堂に
(特別に許可を得て撮影。ふだんは撮影禁止です)

さて今回、オープニングでスピーチしたのは、本展を監修したポンピドゥーセンター副館長のディディエ・オッタンジェ氏。細身の長身にダブルのスーツが似合ってました。日本人じゃこうはいかない。顔立ちは遠目だと柴田恭兵みたいだったけど近くで見たら山田康雄(ルパン三世の声優さん)みたいでした。
まそんなことはともかく、ぼくの印象に残ったのは、この方が発したひと言でした。

世界で一番シュルレアリスムに興味を示してくれるのは、日本人です

どうやらこの言葉こそ、本展を語るのに重要なキーワードになりそうなんです。

「ダダ」から「シュル」へ

この展覧会では、シュルレアリスムの原動力となったダダイズムから、シュルレアリスム後のアンフォルメルまで、時間を追って変遷を一望できるまたとない機会になっています。しかも絵画、彫刻、映画、当時の資料までてんこもり。

旧来の美術に反抗して「こんなものだってアートだぜ!エヘヘ」とやったのがダダの創始者マルセル・デュシャン。これを皮切りに美術界がなんでもあり状態になるのですが、そんな20世紀美術界で大きな動きになったのが、アンドレ・ブルトンが提唱したシュルレアリスムです。

本展では、おなじみのサルバドール・ダリやキリコ、ミロなどの作品もあります。ぼくが大好きなジャコメッティの彫刻まで!エロスと死の香り満ちた『喉を切られた女』は必見。

シュルレアリスムでは、(おおざっぱにいうと)作者が自身の深層と向き合い、そこから湧き出る心象を、そのまま正直に形にすることがテーマで、「自動筆記(オートマティズム)」などの手法が執られます。
作家個人の心象風景に多くの人が共感する。ということは、人の心の奥底に潜むものというのは、多くの人に共通するところがあるのかもしれません。

人心の奥底を覗くのはおもしろいもの。日ごろ善良な市民の顔をしている人であればあるほど、性癖が異常とか、やばい宗教にハマってるとか、なにか裏があるものですよね。というか、そうあってほしい(笑)。完全完璧ないい人って逆に気持ち悪いですからね。
近ごろは若いスポーツ選手なんかが「完璧ないい人イメージ」を植え付けられて世間から崇められていますが、たしかにあの清々しさに尊敬の念を抱きつつも、ちょっとした怖ろしさも同時に感じてしまうのは、ぼくだけではないはず。

「シュル」を日本人が好む理由

近ごろはTwitterやFacebookなどソーシャルメディアが発達しています。ぼくがツイッターを始めたのは昨年ですが、早くも「ツイッター疲れ」のきざしが……。大勢の人に見られていると思うと、下手なことが書けない。なにか良いことしか書いちゃいけないような気がして、結局当たり障りのないことや挨拶や告知情報しか書けないではないですか(ま、それだけで充分ですが)。
ぼくが日仏会サイトで遊び始めた1996年ごろには考えられないほど、ネット社会は成熟した。だから発言に慎重になるのは当たり前ですが、ツイートするのにいちいち気を使わないといけないというのは疲れます。挙句の果てに、こんなことで疲れる自分はおかしいのでは? 自分はどれだけ社会に対して仮面をかぶっているんだ、と哀しくなる始末。
まあ自分のことはともかく、君もいい人僕もいい人、社会全体が「いい人であれ」と無言のうちに強制しているような、ある種の窮屈さを感じるのは、私だけでしょうか。


ところで、日本では「エログロナンセンス」に代表されるように、じっとり湿った暗さを帯びた、ぐちょっとして気色の悪い世界がもてはやされてきました。戦前の江戸川乱歩、戦後の寺山修二の作品など。日常の陰に潜む人の心の暗がりを赤裸々に表現した作品は、日本人が大好きなテーマです。江戸期の伊藤若冲の作品とか浮世絵なんかにもかなりグロくてキッチュな作品があったと思います。
いわば、ニッポンには独自の「超現実=シュルレアリスム」が前から存在していたわけで、戦後「フランスでシュルレアリスムってものが流行っているらしい」と知ると、欧米大好き日本人がこぞって飛びついたというのも自然なことだと思います(ぼくだってその一人です。一時期、現代美術にかなりハマったもので)。

光の射さない部分に潜む暗がりをこよなく愛する日本人。シュルレアリスムの、人間の内面をさらけ出すようなヴィジュアルは、きっと日本人の「エログロ」嗜好に響いたことでしょう。そして21世紀の今でも心に響くと思います。

今回の展示では、エリ・ロタールの「食肉処理場」シリーズや、ヴィクトル・ブローネルの「欲望の解剖学」なんか、残酷でエロくてじめじめして、かなり日本人にウケるんじゃないでしょうか。

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ダリが関わった実験映画『アンダルシアの犬』と『黄金時代』を
左右同時に鑑賞できるなんて。これは精神にくる!(笑)

「いい人」に疲れたら

逆に言えば、いかに日本社会が普段「内面を隠しているか」ということがいえるのではないでしょうか。社会の窮屈さは20世紀から変わっていない、それどころかさらに増しているのかも。

ふだんの生活で、良識ある市民を演じることを強いられる当世「いい人社会」。ちょっとずれているとすぐにコミュニティからはずされるんじゃないかという強迫観念。「空気を読む」ことが美徳とされ、「いい人」の仮面をかぶって、ツイッタ―には「いい人が言いそうなつぶやき」だけが残る。

仮面をかぶっていればいるほど、内面にたまった汚泥が深くなる。そういった内面とバカ正直に向き合い表現している作品群を目の当たりにして、ぼくはゲロを吐き終えた時のような、ちょっとした爽快さを感じたのでした。

「いい人」でい続けることに疲れを感じるのは当然のこと。この展覧会は「いい人疲れ」をした日本人にとって癒しの場になるかもしれません。


リンク:
国立新美術館 シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―
シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―
 


posted by 宮澤やすみ at 21:25 | Comment(0) | 現代美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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